身狭社は託宣の杜
2014年 06月 23日
橿原ロイヤルの朝食でまったりノンビリしたあと
壬申の乱のエピソードを辿る道など軽くお散歩v
その前に。部屋もお馴染み商工会議所が見える方
しいていえば山側か それを言ったら
奈良の四方八方 「山」 ではあるが(笑)
最上階だったので眺めそこそこ良かったです
ぎりぎり吉野の山山が見え
葛城金剛、畝傍もぎりぎりチラリ見えv
ここは丈六の交差点(好きな場所v)
山田道と下ツ道の交差点 「軽衢」 は(かるのちまた)
堅塩媛の威徳を偲ぶ儀式とか
大事な行事が色々あった場所らしい
そういえば角に神棚があったかも
大事な道の交差点には
結界の役目もあるらしく
そこに祀られた道俣(ちまた)の神は
悪霊が道を通って来たときに
進入するのを防いでいるとか
で。西へ歩いている
お天気が不安定だったので
葛城方面もそうだったけど
とりわけ吉野方面は
山から立ち上る霧の流れが神秘的
(温泉地でそこかしこに上がってる煙みたいな)
向かっているのは岡寺で
見覚えのある立て看板に出くわした
あーーーw
スグソコ?(ウソツケ=3 とお腹のなかで・笑)
前に来たときは車だったから
位置関係がイマイチでした
こんなに駅から近かったのねv
ほんとに右側スグだった(エライvvv)
おかげで一気に手荷物が増え(^^;)
もすこし先へ Go West
そんな歌があったっけ 西部開拓フロンティア
西は西でも彼らが目指した西側は
仏教の西方浄土とはちょと違い
自由主義の西側だったり
右のモリモリは古墳だったり
するわけよー(笑)
「見瀬丸山古墳」 という~
語呂というか語感が柔らかくて好きだったのに
コフンは大軽町と見瀬町と五条野町にまたがっていて
その殆どが五条野町にあるというので
(そこ見瀬とちゃうで 俺ん家や=3 とか?)
今は 「五条野丸山古墳」 と呼んでいる
奈良県下最大 全国でも6番目にでかいらしい
見えているのは前方後円墳の前の方
下ツ道は南の起点に蘇我稲目が眠る墓
で。岡寺駅を横断すると景色がガラリ
なんかごちゃごちゃしているような
高取川(源流は高取山)
橿原を通過して曽我川に合流している
橋を渡ると 「牟佐坐神社」 がある
壬申の乱の昔
大海人方について苦戦していた大伴吹負が
金綱井で仕切り直しをしていたときに
(↑橿原市小綱町) 近鉄の 「八木西口」 の方が分かりやすい(笑)
三人の神から託宣があったという
一人は 高市社の事代主神 たけちのやしろ の ことしろぬし
(雲梯町にある河俣神社)
JR金橋 八木西口
・河俣神社・
畝傍御陵前
坊城
橿原神宮西口
どの駅からもそこそこ遠い(笑)
もう一人は 身狭社(むさのやしろ)の生霊神
この二人の神は
高市県主許梅 (たけちのあがたぬし こめ) に憑依し
神武天皇陵に馬と兵器を奉納するよう また
われわれが大海人皇子を不破まで守護したこと
敵が西から攻めてくることを告げたという
身狭社の生霊神 「牟佐坐神社」
そしてもう一人が。かの田原本町の村屋神w
この村屋神は神官に憑依して
敵が(大友軍)参道である中ツ道を通ってくるので
社の中を塞げ と伝えたらしい
大海人皇子は好きでもキライでもないけれど
(どちらかといえば兄貴の方が好きである)
一族の命運をかけて大海人についた吹負のルートに
聞き覚えのある地名を見てワクワクした也
(ネタ本 コピペではありませんぜ ^.^)
ただ 大海人の嫁はキライなんで(笑) お尻向けちゃえ~
むさのやしろのいくみたま神
今も昔と変わらずに
参拝者をねぎらいなぐさめ
悪霊から守ってくださるvvv
壬申の乱のエピソードを辿る道など軽くお散歩v
その前に。部屋もお馴染み商工会議所が見える方
しいていえば山側か それを言ったら
奈良の四方八方 「山」 ではあるが(笑)
最上階だったので眺めそこそこ良かったです
ぎりぎり吉野の山山が見え
葛城金剛、畝傍もぎりぎりチラリ見えv
ここは丈六の交差点(好きな場所v)
山田道と下ツ道の交差点 「軽衢」 は(かるのちまた)
堅塩媛の威徳を偲ぶ儀式とか
大事な行事が色々あった場所らしい
そういえば角に神棚があったかも
大事な道の交差点には
結界の役目もあるらしく
そこに祀られた道俣(ちまた)の神は
悪霊が道を通って来たときに
進入するのを防いでいるとか
で。西へ歩いている
お天気が不安定だったので
葛城方面もそうだったけど
とりわけ吉野方面は
山から立ち上る霧の流れが神秘的
(温泉地でそこかしこに上がってる煙みたいな)
向かっているのは岡寺で
見覚えのある立て看板に出くわした
あーーーw
スグソコ?(ウソツケ=3 とお腹のなかで・笑)
前に来たときは車だったから
位置関係がイマイチでした
こんなに駅から近かったのねv
ほんとに右側スグだった(エライvvv)
おかげで一気に手荷物が増え(^^;)
もすこし先へ Go West
そんな歌があったっけ 西部開拓フロンティア
西は西でも彼らが目指した西側は
仏教の西方浄土とはちょと違い
自由主義の西側だったり
右のモリモリは古墳だったり
するわけよー(笑)
「見瀬丸山古墳」 という~
語呂というか語感が柔らかくて好きだったのに
コフンは大軽町と見瀬町と五条野町にまたがっていて
その殆どが五条野町にあるというので
(そこ見瀬とちゃうで 俺ん家や=3 とか?)
今は 「五条野丸山古墳」 と呼んでいる
奈良県下最大 全国でも6番目にでかいらしい
見えているのは前方後円墳の前の方
下ツ道は南の起点に蘇我稲目が眠る墓
で。岡寺駅を横断すると景色がガラリ
なんかごちゃごちゃしているような
高取川(源流は高取山)
橿原を通過して曽我川に合流している
橋を渡ると 「牟佐坐神社」 がある
壬申の乱の昔
大海人方について苦戦していた大伴吹負が
金綱井で仕切り直しをしていたときに
(↑橿原市小綱町) 近鉄の 「八木西口」 の方が分かりやすい(笑)
三人の神から託宣があったという
一人は 高市社の事代主神 たけちのやしろ の ことしろぬし
(雲梯町にある河俣神社)
JR金橋 八木西口
・河俣神社・
畝傍御陵前
坊城
橿原神宮西口
どの駅からもそこそこ遠い(笑)
もう一人は 身狭社(むさのやしろ)の生霊神
この二人の神は
高市県主許梅 (たけちのあがたぬし こめ) に憑依し
神武天皇陵に馬と兵器を奉納するよう また
われわれが大海人皇子を不破まで守護したこと
敵が西から攻めてくることを告げたという
身狭社の生霊神 「牟佐坐神社」
そしてもう一人が。かの田原本町の村屋神w
この村屋神は神官に憑依して
敵が(大友軍)参道である中ツ道を通ってくるので
社の中を塞げ と伝えたらしい
大海人皇子は好きでもキライでもないけれど
(どちらかといえば兄貴の方が好きである)
一族の命運をかけて大海人についた吹負のルートに
聞き覚えのある地名を見てワクワクした也
(ネタ本 コピペではありませんぜ ^.^)
ただ 大海人の嫁はキライなんで(笑) お尻向けちゃえ~
むさのやしろのいくみたま神
今も昔と変わらずに
参拝者をねぎらいなぐさめ
悪霊から守ってくださるvvv
by elsur147
| 2014-06-23 20:51
| climatnara
|
Comments(0)