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倉橋長門の遣唐使

白村江敗戦の影響で
遣唐使は朝鮮半島の沿岸を進むことが難しくなり
船は前期の内海型から
外洋から唐へ直行できる
耐航性のある構造船に変わっていったそうです
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「吉備大臣入唐絵詞」を参考に
(二回目の、鑑真和上と帰国した時の)
平成元年に復元された遣唐使船は

見学も突先までは行けないので
"タイタニック" は出来ませんでした(笑)
船首から瀬戸内海を見てみたかった~
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長さ25m 幅7m 帆柱高17m 大きいですよ
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遣唐使船の多くは倉橋で造船されたもよう
実際の造船地は島のうんと西(方向的には愛媛の今治)
海越(かいごし)地区の 「唐船浜」 と伝わっている
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唐船浜は車があっても行けそうにない場所
行っても海岸とミカン畑しかないと言われた(笑)
あたしには造っていたかもしれない浜があるだけで
そこに立って眺めるだけでいいんだけどね
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遣唐使船の外観は絵巻から
構造は地元船大工の技量
他に帆職人、槙皮職、宮大工など
(建造は浜のドック跡)

当初は展示目的だった船も
その姿が見えてくるにつれ
海に浮かべてみよう ということになり
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衣装も正一位から漕ぎ手まで復元され
船は進水したのですよvvv
(だいぶ傾いている船酔いしそう=3)
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長門の浦より舟出する夜に月の光を仰ぎ観て作る歌
・山のはに 月傾けばいざりする 海人の燈火 沖になづさふ
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by elsur147 | 2014-07-15 23:02 | sato | Comments(0)
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